まいど!愚蛤庵主人です。
じつはわたし、学生時代、日本の古典文学をやっておりました。
いわゆる「古文」ですね。平安時代末期から鎌倉時代初期までのものを中心に。
大学を中退してからは、数年間、塾や専修学校で教えてましたが、残念なことに、古文担当ではありませんでした。
まあ、もし古文を教えていたら、横道にそれまくるので、やらなくて正解だったかもしれません(笑)
古文って、受験が終わると、あまり目に触れることがないことが多いですね。
これは、とてももったいないことだと思います。
小説は読むのに、古文は読まないひとが多いのは、受験のイメージが伴うからでしょうか。それとも、敷居が高いんでしょうか。
単語や文法は、たしかにめんどくさいですけども。
源氏物語だって、今じゃすっかり「文学作品」ですけど、私の中では、「平安時代のベストセラー作家が書いたトレンディー小説」なんですよ。読んでみればわかります。
読者の反応が大きすぎたので、54巻まで出た、なんて、「ドラゴンボール」や「ワンピース」と全く同じノリです。
ですから、文学作品だからと言って、それほど敷居の高いものでもないんですよ。
徒然草や方丈記は、エッセイだし。
平家物語は大河小説だし。
ハウツーものや自己啓発本だって、いちおうありました。
そういう意味では、現代とそれほど変わらないですよ。
もって回った言い方をするひともいれば、ズバッと単刀直入に切り込むひともいる。
さらっとスマートな文章もあれば、垢抜けない文章だって、やはりある。
・・・今と変わらないでしょ?
・・・どれも面白い、とは言いません。好きな小説家と嫌いな小説家がいるのと同じです。それは好みの問題です。
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とまあ、前置きがやたら長くなりましたけども。
これには理由があるんですよね。
それが、今回描いたこの方。
林修さん。(クリックでびよーん!)
すっかりテレビでもおなじみになってますね。
予備校の人気講師でもあります(というか、本業はたぶんこっち)。
予備校では古文を教えてらっしゃいます。
大学で専門的に学ばれた方ではない気がしますけども、どうなんでしょう。
知識量もすごいですが、それらが単なるトリビアの集積じゃないところもすごい。
知識は、それを理解して自分の中でこなれていないと、ひとに教えられるところまで到達しません。それは、わたしの講師の経験からいってもそうです。
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精進を重ねてゆきます。
では、またいずれ。愚蛤庵主人でした。
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