まいど!愚蛤庵主人です。
きょう、息子が合宿から帰ってきます。
ゆうべは、息子がいないので、父がひどく寂しがっておりました。
「邪険に扱われても、あいつがとにかく可愛くてならんのや・・・」とぽつり。
だもんで、息子が一歳のとき、父が息子をプール(空気を入れて膨らますやつ)に入れてやったときのビデオを見せたら、途端に顔がやにさがっておりました。
さらにいうと、きょうは息子の十一歳の誕生日でもあります。
あっという間です。
これから、どんどん成長して、姿もこころも変化していくのでしょう。
いま息子がみているわたしの姿も、見方、見え方が変わってくるでしょう。
やはり、いつも思うのは、健やかであってほしい、ということです。
月並みかもしれませんが、強く願います。
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で、きょうはというと、結果的に「描き直しデー」になりました。
きのう、伊勢谷友介さんに挑戦したのですが、納得がいかず、何度も修正を重ねました。
どれだけやっても、自分の持っているイメージと合わない。
で、つい写真をまじまじと何枚も見てしまいました。
そしたら、「ああ、ここはこうじゃない、そこはそうじゃない」ということになって、さらに手を加えてしまうことになって、元の自分のイメージがどうだったかすら忘れてしまう始末になりました。それどころか、全体像さえバラバラに崩れてしまいました。
そこから、迷いが生じて、悩んで、立ち止まってしまう、という。
・・・よくあるパターンなんですけれどもね。
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気分を切り替えて、別の題材に取り掛かる、という手もあったんです。
うまくいかない日は、いっそ何も描かずに、他のことをやってみる、という手もあったんです。
・・・それでも、きょうはあえて「手直し」を選びました。
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きっと、現状に全然満足してなくて、なおかつ、現状にも、自分自身の中にも、不安があるのでしょう。
なんとかそれを払拭したい、という、それだけ。その一念です。
我ながら、ねちっこいというか、いつまでも根に持つというか。
・・・困ったもんです。
自分の中には、そういう執念深い部分は、結構あります。自覚もあります。
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ただ、とにかく「この現状をなんとかしたい!」という気持ちの強さだけがあって。
たとえば、Facebookで自分が描いたものに「いいね!」がもらえるのは、「見る側の純粋な反応」の目安として、素直に、とても嬉しいんです。
ただ、現時点に限っていうと、それよりも「率直な意見を聞きたい!」とか、「具体的なアドバイスが欲しい!」という思いが半端なく強いです。
たとえそれが否定的であったとしても、です。
もしそうであれば、どこがどうダメかを突き詰めて聞きたい。
・・・そういう、かなり切羽詰まった状況でもあります。
・・・そこまで必死こく必要もないのかもしれませんけれど。
いまの、正直な気持ちとして、そうなんだから仕方ないです。
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で、きょう、描き直したものたち。
宮藤官九郎さん(5月6日のものの描き直し)。(クリックでびよーん!)
山本美月さん(5月8日のものの描き直し)。(クリックでびよーん!)
これらは、いずれも「目」を重点的に手直しをしています。
目がイメージと合わないと、どれだけ形がとれていても、誰なんだかサッパリわからなくなってしまいます。
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もっと重症なのは、自分のイメージをそのまんま表現できていない、という事実!
似てる似てないよりも、むしろ「自分の持っているイメージが、自分らしく出てるかどうか」のほうが、よほど、わたしにとっては重要なんです。
模写がしたいんじゃない。似顔絵であっても、「自分の、自分にしか描けない絵」が描きたいんだ。
それでも、今はそれができていない。
それが今は、すごく怖い。
・・・ほんとうにビビってしまうと、さらに何もできなくなってしまうので、きょうのわたしの選択が正しかったのかどうかは疑問です。「だって、まだまだ納得がいかないから」。
なにも描かないよりは、描いた方がマシです。あとあと後悔するよりは、よほど。
こういうのは、たゆまず怠らず、手を動かし続けてなんぼです。
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精進を重ねてゆきます。
では、またいずれ。愚蛤庵主人でした。
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