人を知ろうと思ったら。

まいど!愚蛤庵主人です。

 

今日は、散髪に行って来ました。

0.5ミリの坊主頭です。

いつも「本当にそれでいいんですか?」と聞かれます。

それでいいんです。

 

顔も剃ってもらって、サッパリしました。

息子も一緒に散髪したんですが、息子は「坊主頭だけは絶対にイヤ」だそうで、父としては、お揃いのヘアスタイルにしたかったので、非常に残念です。

 

息子曰く、「坊主はヘアスタイルじゃねえし」。

 

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床屋で顔を剃ってもらうと、眠くなりませんか?私はなります。

顔を剃ってくれる人がたとえ魅力的な女性でも、たぶん眠気に負けます。

自分では「あるある」だと思ってますが、どうなんでしょうね。

 

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きょうは(というか深夜)は、テレビで、米大統領就任演説をガッツリ見てました。

 

というのも、先日から言ってる通り、人を知ろうとするときは、直接話を聞くのが一番です。

 

「どこかから拾って来た統計データ」だったり、「確証のない他人の意見の寄せ集め」をいくら提示されても、そこにはかならず誰かの人為的な要素を含むので、迷いが出たり、類似する記事ばかりを目にすることになります。

 

ただでさえ、世界的に世論を操作しようという意図を持ったサイトが乱立しているもので、警戒せざるを得ません。

 

たとえそれが、正しかろうが間違っていようが、迷いが生じたり、自分にとって都合がいい情報を集めるようになって、自分の考えが偏ってしまう恐れがあるからです。

 

人が話すことは、できるだけ間を通さず、直接本人の言葉を聞きたいし、自分の先入観をできるだけ捨てて、まずはしっかり最後まで話を聞いた方が、人を理解しやすいと思うからです。

 

今日は、個人的に、漠然とした感じは否めませんでしたが、「現段階ではこうしたいのだ」というのは伝わって来ました。まだ、現段階では、「自分が大統領になった」ということと、「これまでの政権では、自分の望む方向性は見出せなかった」ということは、わかります。

 

twitterでタイムラインを順に追いかけていくと、自分を批判するものは断定的に否定すること、現状を批判すること、身内や自分の考えに同調する人を讃えること、というパターンが相変わらず続いていて、少しずつではありますが、彼のありようを理解するようになってきました。

 

なぜそう言うのか、なぜ討論会の際に、自分が言った事実を、不利な材料だと感じたときに、即座に「そんなことはひとことも言っていない」というのか、といったことも、なんとなく想像ができるようになってきた気がします。

 

いまは、「なんとなく」としか言いようがない状況であることは確かです。

 

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あ、ちなみに、ここでは、この出来事に関する、また、特定の人物について、自分の意見をさし挟むつもりはありません。それは新たな又聞きの材料にしかならないからです。

 

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百聞は一見にしかず、です。

相手を見もしない、聞きもしないで相手を知るなんていう才能はないので、現段階ではこれがもっとも正確な情報を知る方法だったと思います。

 

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で、きょう描いたのは、そのときのようすです。(クリックでびよーん!)

 

 

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議論する必要がない人ではありますが、いろいろと想像します。

もし、自分がこの人だったら、どうするだろう?

もし、自分がその国で生きていたらどうするだろう?

その国の人たちは、どう考え、どう行動するだろう?

 

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今ここで、何かを評価するつもりもないです。

「こういう事実を見た」だけで今は十分。

 

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精進を重ねてゆきます。

 

では、またいずれ。愚蛤庵主人でした。

 

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