「無駄」ということ。

まいど!愚蛤庵主人です。

 

きょうは、つれづれに思うことをば。

 

「無駄」ということについて考えてみます。

 

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日々、絵など描いてますと、とくに似顔絵なんかがそうですが、うまく似ない、というときがあります。

 

あるいは、時間ばかり経つ。描いてもかいても、うまくいかない。

 

こういう感覚、とくに絵に限ったことでもなく、日常でも、仕事でも、あることだと思うんですが、どうでしょう。

 

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こういう事態に陥ったとき、だいたいのパターンがあります。

あえて3つに絞るとすると、

 

1.やりすぎる。

2.体の使い方(線の描きかた)に無駄がある。

3.遊びがない。

 

・・・この3つになります。

 

これらは、3つとも、「大きな無駄」だと言っていいと思います。

 

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1.については、原因はいくつかあって、そのなかでも一番大きいのは、視野が狭まっていること。

 

いったん、遠く離れて、客観的にみると、「ああ、ここが問題だな」というのがわかることが多いんですけどね。なかなかそれができないです。

 

次に多いのが、「無駄な線を描きすぎる」こと。

 

これも、目に入ってくるものを全部描きこんでしまおう、という気持ちがある、というか、必要なもの、無駄なものの区別がついてない。

 

全部が必要だと思うと、全部描いちゃうわけですが、そうなると、全然メリハリのつかないものができちゃう。

 

とくに、描き始めたころに多かった(いまだに多い!)ことですが。

 

入ってくる情報のうち、何が必要で、何がいらないかを区別する必要って、かならずあると思うんですが、どれをどうしてよいやらわからない(私の場合だと、とくに会社で仕事をしてたときなんかは、常にそうでした)ので、

 

「全てにおいて全力投球!」

 

・・・なんてというと聞こえはいいですが、やはり、ひとに対して自分の意図が伝わらない(そもそもなにを意図してるのかが自覚できてない)ので、ごちゃごちゃしたものになるんです。

 

迷いに迷って、考えに考え抜いて、何もできないでいるより、何かをしたほうが、ずいぶんいいとは思いますが、「何をしたいか」がわからないうちは、どうしてもそうなります。

 

そういう意味では、これは経験がものを言ってくるのかもしれません。

 

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2.については、特に熟練した職人さんの作業の様子などをみていて、よく思うことですが、「無駄な動作がない」んですよね。

 

自慢じゃないですが、わたしは、直線1本、丸ひとつ、まともに描けません(笑)

どうやっても、ギザギザした、細切れの線の重なり(連なり)になってしまうんです。

 

これにかんしては、もちろん、経験を積む必要がありますが、注意深く、ゆっくりすぎると感じられるほど丁寧に、いうなれば「この線1本、無駄なく引く!」というくらいの真剣さで引くと、かなりマシになります。

 

いまはそれが全っ然できてないので、線を引くより、どうやって消すかの方が重要だったりします(笑)

 

(けれど、足し算より、引き算の方が圧倒的に難しいのも事実なんです!)

 

これができるようになれば、もっと質の高いものが短時間でできるようになるんじゃないかと思っています。

 

「自分がなにを描きたいのか」がはっきりすればするほど、やりやすくはなります。なかなか、できないですけどね(笑)

 

3.ですが、これはとても難しい。

必要なところはしっかり押さえつつ、解釈の余地をもたせるというか。

自分で完璧を作ってしまうと、それは単に「自己完結」で、「自己満足」につながります。

 

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むしろ、隙がないほど完璧に仕上げるよりは、ミスをつくるという意味でなく、自分で、あとから「ああもできるな、こうもできるな」と思える余地を十分に残す勇気を持つことが必要なんじゃないでしょうか。

 

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で、今回の総括。

 

1.視野を広く持つ。そこから必要なもの、無駄なものをはっきりさせる。

2.無駄のない作業のしかたを身につける。(真剣さとメリハリ)

3.遊びを意識的につくる。

 

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これって、すくなくとも自分にとっては、大切ですわ。

 

ではでは、またいずれ。愚蛤庵主人でした。

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