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むつかしいこと。

まいど!愚蛤庵主人です。

 

ほぼ毎日、欠かさず描いてはいるんですが、このブログは、すこしあと回しにしてました。

 

とりあえず、絵は送るべきところに送って、優先的に載せるところには載せて、というかんじです。

 

すこし余裕がないんですかね。

 

フトコロの余裕はつねにないですが。

 

きょうは、むつかしいことについて、すこし書きますね。

 

ココロおだやかでいることは、とても大切なんです。

一方が固くこわばれば、それならばこっちも、となります。

 

いまできることは限られてます。

行動すべきはしないよりはしたほうがいいです。

 

一方がケンカ腰になれば、それならこっちも、というのが人情。

それは私も同じです。

 

ケンカしないといけない人たちはケンカするんでしょう。

ケンカすることで、はじめてお互いを知ったり認めたりすることもありますから。

 

いま、私たちは、いろいろなところでケンカを売り買いしています。

そうすることで、その結果はどうなるのか、私にはわからないし、わかってる人もいないでしょう。

ケンカは勝ち負け。

強い方が勝つシステム。

 

勝ったとき、負けたとき、その事実を受け入れるかどうか、というのはその人の判断ひとつで決まります。

 

受け入れるか、受け入れないかだけの選択になります。

 

単純ですが、むつかしい。

 

いま、日本では、「戦いをしようとする人」と「戦うまいとする人」がケンカしています。どこかおかしいな、とは思いますが、現実にそうです。

いったん抜いた刀を鞘におさめるのは、むつかしい。

ほんとうにむつかしい。

同時にやめないと、どちらかの命が奪われてしまうので。

 

ただ確実に言えるのは、これは勝ち負けの問題(それを英語でゲームというんです)じゃないということ。

 

もちろん、他人事ではないです。自分の生活にも、生命にも、もちろん関わる。

だけど、戦わないといけないときは戦う、とは私はいえません。

 

私は戦うまいとする人です。

私は、いま、なすべきことは「戦わない」という気持ちを決めること。

「戦わない」という選択肢を自ら選ぶこと。

今ここで刀を抜かない、ということ。

 

だと思っています。

なので、そうしてます。

 

とくに今の場合、相手は身内です。

後腐れのない、遺恨のない骨肉の争いを見たことも聞いたこともない。

 

卑近な例ですけど、日本では、グローバル化、という言葉をよく耳にします。

それってなんなんだろうか。具体的に何をするのか。わからないです。

よくわからないけど、ひとりひとり考え方にズレはあるけど、大筋で賛成、っていう。

地球規模でものごと考えるよ、ということが、世界中と戦わずに歩んでいくのか、それとも、日本が地球規模でものごとを判断してリードしていくのか。

ひとりひとり、見解はたぶんバラバラ。

 

なんでかというと、いま、なにしろ政治的に用いられる言葉が曖昧なんです。

ひとりひとりの見解が大雑把にまとめられてる。

 

いまはその曖昧さに、曖昧さで対抗してる状況。

ケンカをふっかけた人がいて、その人に売られたケンカを、頭に血がのぼった状態で「ケンカしないつってんだろ!」と進んで買って出た人がいる状況。

 

こういうときには、こういうときだからこそ、曖昧なところをひとつひとつ明らかにするところから始めた方がいい。

こういうときに、ひとりの国民として、曖昧なことがらを具体的に、政治的に明らかにする手段は限られている。

私は、選挙という手段を選びます。

私にとっては、政治という場面で「戦わない」という気持ちを、戦わずに、そして具体的にしめす手段としては、いまのところそれしか見当たりません。戦わないことを選んだ人を選ぶのが、今の私にできること。そして、やるべきことだと思っています。

それ以上、がやがや物事をいじって混乱を招くべきじゃない。

国会議員がやるべき国の政治を、部外者がやったらいけない。

デモを、抗議活動を、政治参加だと勘違いしてはいけない。

それを民主主義とはいわない。

憲法を守る意思を持ってるなら、自分自身がそのルールの中にいなければ、それは違う。

 

 

ただでさえ曖昧なものを、どんどんごちゃごちゃにしていくと収まりがつかない。

複雑なものであればあるほど、複雑に扱うと混乱する。

混乱した頭を整理するには、まず自分が落ち着かないと。

 

こんがらがった糸は、大切なものであればあるほど、いったん落ち着いて、少しずつ、ひとつずつ、焦らず、あきらめずに根気よく、確かめながらあつかえば、ほんとのほんとに糸口がみえてくるもんです。

 

こんがらがった糸を、放り出すわけにもいきません。

それをいつかだれかが解かないといけない。

だれが?

 

いまを生きてる私たちがやらないと、次の世代に持ち越しです。

人の責任を追及してる場合じゃないんです。

 

真剣に落ち着かないといけない。

それこそ命がけで冷静になる必要があるときだと思います。

 

「なんのために」というのが見えている人には見えているんでしょうけれど。

いまの私は、とにかく描いてます。

その日その日の場当たり的な感じで、いいかも、と思う絵を描いてます。

なんのために、というのを考えず、描いてます。

 

冷静に、ひとつひとつ、確かめながら進めていきたいです。

・・・なかなかうまくいかないですけど、ね。

 

自分への戒めの気持ちをこめて。自分のことだから。それは自分でやります。

これが自分にできること、やるべきことです。

 

・・・はぁ。やっぱり文章長いわ。

ではでは。またいずれ。愚蛤庵主人でした。

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