基礎練としての一連(その7)。
まいど。愚蛤庵主人です。
のっけから、全然関係のないお話になりますが。
あえて勘弁願いましょう。
ADHD(多動性障害)って、ご存知のかたもいらっしゃるかと。
わたしは、自覚症状がありすぎて。
落ち着かず常にソワソワする、ツネに気が散っている(昔から「人の話を聞かない」と通知表に書かれ続けてきました)、ひとつに気をとられると肝心なことを忘れて、ケアレスミスの多さは半端なく、思ったことは時や場所を選ばず口にして、衝動買いは数知れず・・・。
あとになって後悔することが多いです。
それで人間関係悪化させること、山のようにあります。
後悔先に立たずとか、後の祭りとか、よく言ったもんです。
後の祭りって、「祭りのあと」じゃなくて、「祭りのあとの祭り」なんですよね。
祭りの騒ぎのどさくさで、大変な目にあってたことに祭りのあとに気がついて、お祭りなみに大騒ぎしてしまうことをさすんじゃないかと。
脱線しました。はい。
このように、脱線の連続がこれすなわちワタクシなのです。
「人の話を最後まで聞き、いったん飲み込んで、頭の中ですこし考えてからモノを言う」ことを、忘れないように肝に銘じていても、しません。意識的なものではないですが、やりません。
「歯に衣着せぬもの言い」が痛快だと思う人も多いはず。
それを「意識してできてる人」は尊敬に値しますが、わたしは、ちがう。
ババッと言っちゃう。
常時「口が滑ってる」。
逆にそうじゃないときは家族が心配しだす有様。
これって病気だったのか。
それを主治医に尋ねたことがあります。
主治医曰く。
「なんか、アメリカ主導の精神医学界の基準ではあてはまるだろうけどね」
と、なんとも微妙な返答でした。
あーあ、と肩を落としていましたら、
「それを言ってたら、江戸っ子は日本では社会的に容認されなかったろうし、遺伝学的にも、それが人類に悪影響を及ぼしてるのであれば、種としてして淘汰されて、現存してないだろうね」
といいました。
なるほど、とは思いましたけども。
やはりガッカリしたことに変わりはなかったです。
わきまえて行動できる人を見てると、憧れるし、憎むし、恨むし。
すごく複雑な気分になります。
うまく人付き合いが出来ないのは、やはりもどかしい。
「人づきあいのしかた」なんてハウツー本を何冊読んだことか。
いま、そういう意味では、すごく生きていきづらいですわ。
いいね!があってナンボ。友達の数があってナンボ。
人を拒否してるんじゃないんですよ。
「あ、こういうやつねんな」で済まない現代に生まれたことを後悔しつつ生きとります。
いま、とてつもなく自分を正当化してます。自覚あります。
じゃないとやってられん。
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恨みごとはいった。
とりあえずはこれでよし。
・・・・・・・・・・・・
で、本日の基礎練です。
今日はふたつ描いて、ふたつとも中途半端なんですが、そのうちのひとつを。
迷いがいろいろ生じております。
困ったもんだ。
さ、続けよう。
ではでは。またいずれ。愚蛤庵主人でした。