基礎練としての一連(その9)。

まいど。愚蛤庵主人です。

 

今日も早暁に起床してしまいました。

今日1日で、頓服をなんどか服用したくらいです。

調子としては、やはり、あまりよくない方ですね。

 

起床してからは、特に何をするでもなくすごしてましたが、昨日のブログで描いたモノ(じつは映画「アメリ」の主人公だったんです。これを認識できずに、「これだろ!」と自信満々に私にその絵を送りつけてきた方がいらっしゃって、そこに描いてある絵に「LEON」と書いてありましたので、たぶん、マチルダ役のナタリー・ポートマンだと推測して、どうせ勘違いされるのであれば、すくなくともわたしの思い描いている「ナタリー・ポートマンはこれだ!」と納得させるために、彼女の絵を描いてみました。

 

最初は手書きだったんです。

 

これ、何度も嫁さんに見せました。

 

そのたびに、なんともビミョーな反応を示していたので、二人で語らいながら、この絵はこう書きたかったんだよ、こうすればよかったなあ、と、自分の絵を客観的に見ることができたので、この絵はアシスタントである嫁さんの力による部分が多分にあります。

やはり、身近で意見を聞ける、あるいは見てもらえる人がいると、とても助かるというのを実感したりもしました。

 

んで、まずは手描きによるものからUPしてみようと思います。

 

これです。

 

まちるだ

 

最初は輪郭線だけで表現しようと思っていたのですが、それでは線が多すぎて、女性、とくに思春期の女の子を描ききるには難しいと判断して、影を利用することにしました。

 

その影をつくるときに、えんぴつの線をなじませる(ブレンド)ために、擦筆(さっぴつ)というのを用いることが多いのですが、あいにく素人なので、そんなものを持ち合わせているわけでもありません。

 

そこで、中学生時代に、美術部に所属していたことのある嫁さんに、どうしたらいいか尋ねたところ、「わたしはティッシュペーパーを使ってた」というので、それも試してはみたのですが、どうも自分が思っているような雰囲気が出ないので、これはやはり擦筆を入手するよりほかないかな、と思っていました。

 

お金がないので、検索をかけて、代用品を用いてるひとがいないか確認してみたら、綿棒だとか、紙に水を湿らせてしっかり巻き、それを削って自作する人もいました。

 

わたしも、なんとか身近でそれに近いものはないかといろいろ家の中を物色していたところ、綿球を見つけまして、それで擦ればおもしろい味が出てくるんじゃないかとひらめいて、いつものように「実験くん」してみました。

 

そしたら、予想通りのおもしろい出来でしたので、とりあえずこれをスキャンしてとっておいて、これをさらにMacのPainterを使ってみれば、さらに完成度は上がるかもしれないと、さらなる「実験くん魂」がもりあがってきまして、やってみたわけです。

 

Painterは、用意してある画材も、表現方法も、テクスチャ(下地になる紙やキャンバスの質)まで指定できる、表現の幅を広げるにはもってこいのソフトですので、これを利用しない手はないということで、試しにやってみました。

 

ま、これも、かなりいろいろ試行錯誤を繰り返さないと自分の思うような絵が出来上がらないのですが、同じ絵でも表現をいろいろ変化させることができることもできるので(変な話、鉛筆画をもとに油絵にしてみたり、水彩画やエアブラシをつかってイメージを変えてみたりと、いろいろ遊んでみることもできます。

 

しかも、これは、ペンタブレットを使って、まるでペンや筆で描くようにしないと、うまく描けないので、実質、表現方法は多様だけれども、限りなく手描きの絵に近い絵にすることもできるという利点というか、楽しみ方があるソフトでもあります。

 

前置きが長くなりましたが、これを使って、微調整を施して、完成形をつくってみました。

 

それがこれです。

 

ご覧ください。どうぞ。

 

まちるだ(Painter)

 

かなり自分が表現したいものに近づいてきました。

 

これも、これまで描いてきたイラストよりも、より基礎を固めるべく、美術学校を目指す人などの定番の本を買い求めたり、道具を自作するなどの工夫をした結果です。

 

なんだかんだで、いちおう努力はしてるんですよ。こうみえて。

 

冗談はともかく、これを描くのに、いろいろ試行錯誤を繰り返したこともあって、かなりの時間を要しました。比較的に自由時間が多いいまだからこそできる技でもあります。

 

今日はかなり硬い文章になってしまいましたが。

 

ある意味収穫は大きくて、一部の方からは大好評をいただきました。

 

ふだんから一所懸命に描いていることに間違いはないということと、彼女が求めているような絵を描いてしまったことは、くしくも今回現実となったわけですが、わたし的には自分の世界を十分に表現したいというのが最終目標であることに、いささかのブレもありません。

 

ただ、自分が納得できる絵を描けばそれで済むかというと、そうでもなくて、やはりひとを楽しませる絵を描いていきたいというのが最大の目的でもあります。

 

そういう意味で、現在、「実験くん」や、基礎練の繰り返しによって、自分の画力を向上させて、なおかつ表現力をつけようというのがこのブログの主旨でもあるわけです。

 

 

あー、どうも具合が悪いときは文章が堅苦しくなってしまうー。

 

ま、いいか。

 

ではでは。またいずれ。愚蛤庵主人でした。

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