まいど。愚蛤庵主人です。
朝からキレッキレでキレまくってました.
あさはいつもより1時間以上早い、3時少しまえに起きたんです。
ゆうべは寝つきが悪かったにもかかわらず、です。
そんなわけで、ナチュラルにどよーんとしていました。
息子も、すでに楽隠居の父も、釣りに出かけ、私は息子を、いくらなんでも留守番をさせるなんてできるはずもなく、市役所へ相談に行ってきました.
息子は正午に帰宅。予め、たまってきた宿題をすませるよていだったのですが、
運わるく、わりと近くに住んでいる妹が、娘たちを妖怪ウォッチの映画につれていくので、彼もさそってくれんか、ということになって、もちろん彼の返事は「いく!」。
・・・宿題が山積しているにもかかわらず、です。
「宿題は?」
「帰ってからやる」
「約束やぞ。守らんだらナニするかわからんぞ」
「うんわかったー」
軽薄な返事でございました。
朝の時点で描いた絵はそれはそれは酷かったので、プログ掲載は即没。
で、追い打ちをかけるように、妻が残業で遅くなるとの連絡。
そして最後に、Facebook経由で読んだHuffington Postの記事。
これが怒りを増幅させました。
「塾に行く子に負けたくない」 子供の貧困から抜け出した内山田のぞみさん
すべての文章、ましてや一部のライターにとって都合のいい部分だけをコピペする記事は書きたくないので、まずはそちらをしっかり読んでください。そうでないとこれからいうことの理解がむずかしくなります。
富裕層はより豊かになり、中流以下の層はますます貧しくなってきている現状は、そこかしこで数字で見ることもできますので、これも参照いただけるとうれしいです。
こどもの貧困率の高さ。これはひとえに、親に問題があると考えます。
親の金銭感覚と、こどもの金銭感覚が違いすぎる。
着飾っている親と、パチモンばかり着ている子供達をスーパーなどでよく見かけます。
あとは、スーパーの駐車場の軽自動車の占める割合が高すぎるようになってきてます。
人間がいったん身につけた生活レベルを下げるのはすごく難しい。
そこで、親である大人はそれを維持し、こどもが割を食ってるわけです。
話は元へ戻って、Huffington Postの記事に戻るわけですが。
内山田さん、SFC(慶應大学湘南藤沢キャンパス)在学中なわけですよ。
そりゃ、バイトも沢山されてきたことでしょう。
ただ、内山田さんがご自身で経験されてきたこと、そして現在の彼女があることは、けして「貧困から脱出した」部類には入らないと思ってしまいます。
高校を卒業どころか、小学校に通学することすらままならない事情を持つ家庭がいかに多いかを考えると、大学へ行こう、と思い、アルバイトして、親と助け合えば大学へ行けるなんていうのはむしろ貧困層の中ではひとつまみ。
東京にいるだけでお金はかかる。ましてや、地方から出てきた人間にとっては尚更。
SFCでの年間130万円の学費が捻出できてる時点で、わたしは彼女のことを、貧困を経験した(あるいは経験し続けている)人だとは思えないんです。
まあ、ここでそういうことを言ってもなんの解決にもならない、不毛な批判で終わってしまうだけです。
こういう問題を解決するために、考えました。
ここでぼくが問題にしたいのは、
1 貧困のレベルはともかく、子どもにとってはそれぞれ辛い体験であることに変わりはなく、周囲から見たようすで決定できないということ。
2 貧困を生みだしたものについて、あるいは貧困に陥ったことに関して、原因を追究して個人レベルで批判しても、こういう社会を生みだし、その中で生きている人間が実際にアクションを起こしていないに等しい現実。
3 そして、この記事を読んだ読者が、貧困はいけない、なんとかしないと、と思っても、自分からなにかアクションを起こす確率は低く、現状をどう打破していくのがよいかを考えて社会に反映させようとする意思を持たない。「貧しい人がかわいそう」とか、「こんな社会を生みだした社会構造がいかんのだ」という考えがあるだけ。ともに解決策を見出す社会的なムーブメントを起こす気概がない。
そういう面をみてて、つくづく思うのは、もしだれかがだれかを批判して、責任を取らせたとしても、それが前向きにすすんでいくことは考えられない。
現状に直面しているすべての人間(もちろん自分も含めて)が、この現状を批判して完結させずに、当事者として考え、行動していくことだと思うのです。
まるで教科書にあるような優等生的な答えのようですが、進学校で学びながら、大学進学を諦めて就職し、親兄弟を養いながら苦学してきた人間が、我が家にいるだけに、腹立たしくて仕方がないんです。
誰かを責めるより、一人でも多くの人が当事者意識を持って考えることが次に繋がると信じてやみません。
・・・とまあ、また堅苦しいこと書いてますが。
辛抱してここまで読んでくださった方には心より感謝します。
ではでは、またいずれ。愚蛤庵主人でした。
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